vol.47 番外編 潟見陽
店舗名:aktaとの連携:デザイン制作(資材・バナー)
店舗住所:運営サイト:LONELINESS BOOKS
店舗電話:連絡先:qpptokyo.com
営業時間:aktaでは様々な人たちと連携をしながら活動や制作を行っています。この番外編では、連携している関係者へスポットをあて、活動や制作の裏側をお伝えしていきます!
定休日:-
https://qpptokyo.com
Q.aktaとはどのような連携をされていますか?
潟見陽
広報資材のデザインで関わっています。
デリヘルくん
一番最初のaktaとの関わりは?
潟見陽
最初かどうかわからないけど、いろんなイラストレーターや、ゲイコミック作家のイラストをカードにして、HIV啓発につなげる資材で、今あるのは冊子になっているけど、冊子になる前のカードデザインをやったのを覚えてます。
デリヘルくん
「Face to REAL」かな?その仕事を受けた時はどんな印象でした?
潟見陽
それまでゲイコミックの世界はよく知らなかったんですけど、イラストで表現するのは面白いと思いました。
デリヘルくん
akta関連のデザインをする上でこだわっているところ(意識していること)はありますか?
潟見陽
そうですね。やっぱり目に止まって、手に取ってもらわないと紙の資材の場合はもったいないし、効果がないと思うので、そういった部分は意識しています。できるだけカッコいいものになるようには心がけていますね。
Q.aktaの活動自体にはどのような印象を持たれていますか?
潟見陽
二丁目にこういうコミュニティセンターのような場所がなかったから嬉しかったです。海外だとそういうのは街のどこかにあるのが当たり前っていうのは情報として知っていたので、やっとできたんだなと思って。新宿二丁目にそコミュニティセンターができてよかったな、みたいな。
デリヘルくん
最初にaktaを知ったのは?
潟見陽
その前にぷれいす東京で色々手伝っていたのでそこからです。
デリヘルくん
そうだったんですね!最初にぷれいす東京でお手伝いするようになったキッカケは?
潟見陽
それはね、多分出会いを求めてみたいな。
デリヘルくん
(笑)あ、そうなんですか。
潟見陽
元々、ボランティアや、誰かと一緒に何かをすることに興味があって、東京に来たばかりの頃、誘われてぷれいす東京のミーティングに行ったんですけど。あわよくば出会いもあればという下心もあったかもしれません(笑)
デリヘルくん
(笑)
潟見陽
出身が京都なんですけど、京都でゲイとして肯定的になれた最初の入り口は僕はMETROってクラブだったんですけど。当時CLUB LUV+っていうエイズ・セックス・セクシュアリティをテーマにしたショーやダンスタイムで構成されたイベントがあって。それが初めてゲイカルチャーにハマったイベントで、最初の入り口がHIVに関わったイベントだったんです。
デリヘルくん
なるほど!そういったルーツでHIVに関しての関心もあったんですね。
潟見陽
そこに行くとアカデミックっていうか、面白い、こういう考え方でセックスとかHIVのこととかを考えている人がいるんだって刺激もあったし、入り口がそれだったので、HIVはすぐ側に存在しいていることでした。とは言え、僕はシャイなんで、セックスに消極的で、HIVのことも周りにいた人たちから影響を受けてました。
デリヘルくん
時代的にはどれくらいの?
潟見陽
90年代です。
デリヘルくん
そういうところで経験したことが、依頼されたHIV関連の仕事に活かされてたりしますか?
潟見陽
影響はあるかもしれないですね。CLUB LUV+とかやってた人たちがすごくかっこよかったんです。METROっていう場所はゲイクラブじゃないからいろんなイベントを毎日やっていて、当時はpizzicato fiveの小西さんのイベントとか、世界中からいろんなアーティストが来てプレイしていて、京都のインディカルチャーの中心地でもありました。その後東京に来て、素人の状態からデザインの仕事を始めたんですけど、今思えば、当時のMETROのイベントフライヤーとかからの影響もあったと思います。
Q.潟見さんは普段は何をしている人ですか?
潟見陽
普段はグラフィックデザインで、主に映画のポスターだったりパンフレットだったりを作っています。
デリヘルくん
デザイナーの仕事を始めたキッカケは?
潟見陽
なろうと思った時期は遅かったんですけど。
デリヘルくん
いつくらいだったんですか?
潟見陽
30歳くらい、歩みが遅いんです。高校を卒業してからそれ以上大人になりたくなかった時期が長くて。
デリヘルくん
ほー。
潟見陽
高校を卒業してからも夕方になると毎日、母校の部活に参加してたんですよ。ハンドボール部だったんですけど。20代半ばまでずっと毎日部活に通う生活をしていました。その頃20代半ばくらいからMETROとかクラブに行くのが楽しくなって。同じ頃に京大西部講堂で開催していたゲイ&レズビアン映画祭っていうのが開催されているのを知って、映画祭でボランティアに参加したんです。ずっと高校生でいたかった部活に通う日々から、クラブや映画祭でゲイカルチャーに触れてちょっとずつ大人になりはじめたというか、その転換点になったのは、橋口洋介監督の映画「渚のシンドバット」を観たことでしいた。それまで映画を観る習慣がなかったんですけど、映画を観て衝撃を受けたことからいろんなことが変わっていきましたね。部活通いを卒業して、クラブに行くようになったり、映画祭のボランティアに参加したり、さらに映画館でバイトもはじめて…体育会系から文化系に変化しました。映画館は30歳手前までバイトしてたんですけど、時給が高くないし、30際を目前にして、もうちょっと大人にならないと、この先どうなるんだろうって思いはじめた頃に、当時働いていた映画館はミニシアターで、毎週のように映画の素敵なポスターが届くんですよ。そんなポスターに魅了されて、それでいつか自分でも映画のポスターを作ってみたい、それじゃ次はデザインの仕事をしてみようとなって、東京に来たんです。
デリヘルくん
素敵な上京物語じゃないですか!そういったキッカケがあってお仕事を始めたんですね。
潟見陽
30歳目前になってやっと大人への一歩を歩みだしたというか(笑)
デリヘルくん
それまではデザインの勉強はしてなかったんですか?
潟見陽
そうですね。20代のうちに勉強をしておけばよかったと後悔してるんです。
デリヘルくん
でも逆に、そこから勉強して今お仕事になっているってところはすごい。今はどこかに所属してるんですか?
潟見陽
フリーランスです。
デリヘルくん
デザインのお仕事以外でされてることはありますか?
潟見陽
今は本屋をやっていて、2019年の東京レインボープライドの時に、ブースを何人かで出したのがキッカケなんですけど。これもまた端折って言わないと長くなっちゃう・・・。
デリヘルくん
(笑)
潟見陽
2015年くらいからインスタグラムとかSNSで世界各地の人と繋がれるものが出てきた頃、aktaのマンスリーペーパーを写真家の竹之内祐幸さんと作らせてもたっていて、ジャケットなどをインスタグラムにアップしていたら、それを見た東アジアのクリエーターの人たちから色々反応があったんです。で、東京に来ているから会いませんか?ってちょこちょこあって、それで何人かと繋がれるようになって。そこから繋がって韓国や台湾、香港のクリエーターの人たちと友達になりました。そして韓国や台湾にもよく行くようになったんですよね。で、えっと、なんの話でしたっけ?
デリヘルくん
本屋(笑)
潟見陽
あ、本屋、そうそう。それで特に韓国の友達が多くできて、彼らがデザインやアート、ファッションの表現からクィアや社会問題を描きしているのがすごい新鮮で、めちゃくちゃかっこよかったんですよ。それで向こうのパレードに行くと、彼らが作った本屋グッズ、学生やNGOの団体が創意工夫して作ったものを手に取って、対話できるブースがずらっと並んでいて楽しかったんです。ひるがえって東京はあんまりそういうブースが見当たらなくて、ないんだったら自分たちでやろうかっていうのがはじまりです。やってみたら、そのブースが好評で、元々本やZINを集めるのが好きだったのでいろいろ持っていたから、それも交えて本屋を続けてやっていこうかなって思ってはじめました。
デリヘルくん
じゃあ、ご自身で集めた本を売っているんですか?
潟見陽
最初はそんな感じで。あとは友達が作った本を。
デリヘルくん
へー。オリジナルみたいなものも含めてって感じで?
潟:そうですね。でも、去年それがだんだん面白くなってきて、SNSなどでも結構知ってもらえるようになってリアクションもいただけて、僕も頑張ってそれに応えようと、アジア各地の新刊本なども取り扱うようになってきました。
デリヘルくん
今やられている本屋さんの紹介をするとしたらどんな本屋さんなんですか?
潟見陽
簡単にいうとアジアをメインに世界で作られているクィアやジェンダーをテーマにした本やZINを取り扱っている本屋さんです。
デリヘルくん
なるほど。すごいですね。
潟見陽
オンラインがメインなんですけど、儲けは別としていろんなところからリアクションをもらえるのが楽しいです。
デリヘルくん
なるほど。今取り扱っている本の中で、これを読んでいる人におすすめするとしたらどんな本が?
潟見陽
aktaのライブラリーにもあると思うんですけど、韓国の友達が作ったクィアマガジンの「DUIRO」です。ぜひ手に取ってみてほしい本当に素晴らしい雑誌です。
Q.お店にも入られているんですか?
潟見陽
今、新宿三丁目のTAC’S KNOTでバーテンダーをしています。もともと週一で入ってたんですけど、この夏は時短営業の影響もあって、月曜日と水曜日に一人でバーテンダーをしています。
デリヘルくん
お店に入ろうと思ったキッカケはあったんですか?
潟見陽
お客として時々行ってたんですけど、水曜日に入っていた方が仕事の都合で入れなくなったので、代わりにオーナーのタックさんから声をかけていただいて、ビックリしました。
デリヘルくん
普段ゲイバーにはよく行かれてるんですか?
潟見陽
実はゲイバーは苦手なんです。
デリヘルくん
えっ(笑)
潟見陽
普段は知らないお店に一人で行く勇気がないんですけど、地方に旅行に行ったときには、夜寂しいから勇気を振り絞って飲みに行くんです。とあるゲイバーですごい満員で盛り上がってるんですけど、僕そういう場にスッと馴染めないんですよ。で、黙ってたら「暗いわね」「もっと楽しそうな顔したら?」ってお店の人に諭されて…。他にもはじめて行ったお店で「お名前はなんておっしゃるの?」って聞かれたから「カタミです」って答えたら「こういうところではね、本名は言うもんじゃないのよ」って諭されて、え?それは本人が決めることなんじゃないのって思っちゃって…トラウマです。
デリヘルくん
(爆笑)
潟見陽
もちろんいい思い出があるバーもありますよ。街のこととか案内してもらったり、いろんなことを教えてもたっらり。そういういい思い出もいっぱいあるんですけど。
デリヘルくん
でもそんな潟見さんだからこそ、気を使わずに過ごせる空間が提供できそうですね。今度行ってみようかな。
Q.今、流行っている事はありますか?
潟見陽
マイブーム?あ、YouTubeを見ることかな。
デリヘルくん
どんなの見るんですか?
潟見陽
日本に住んでいる外国人の人がやってるYouTubeを見るのが好きです。
デリヘルくん
へぇ。どういう内容の?
潟見陽
ご飯が美味しいとか、料理を作ってみるとか。
デリヘルくん
日常みたいな?
潟見陽
そうそう。以前はラジオがもともと好きだったんですけど、最近はCMとかラジオショッピングが苦手になってきて。だからYouTubeも有料で入ってます。CMが入らないように。
デリヘルくん
なるほど、他には何かありますか?
潟見陽
あとは散歩。1日に1万歩いてます。
デリヘルくん
1万歩って結構ありますよね。
潟見陽
1時間くらい歩くかな。僕は大久保に住んでるんですけど、大久保通りが大好きで。東中野の方からこっちの早稲田の方まで、毎日、街を観察しながら歩くのが好きです。
デリヘルくん
観察だけですか?実際に入ったりとかは?
潟見陽
いくつか通う店もあります。なので大久保のごはん屋さんのこととかも聞いてください。
デリヘルくん
じゃあ今度(笑)
Q.2丁目に持っているイメージと、今後に期待することを教えてください。
潟見陽
上京前にも旅行で来たらクラブとかには行ってた。ACEだったっけ?
デリヘルくん
昔ありましたね。
潟見陽
アッパーキャンプとかも。あんまり関西にはないタイプのドラァグだったから。
デリヘルくん
それは何歳くらいの時ですか?
潟見陽
20代後半くらい。ドラァグクイーンのショーを見るのが好きでした。
デリヘルくん
ざっくりとでいいんですけど、2丁目にはどんなイメージを持ってました?
潟見陽
良くも悪くもちょっとじめっとした感じかな。今は外からお店の中が見えるお店が増えたけど、当時はそういうお店は少なかった気がして。店はいっぱいあるのにみんなその内側にいる。僕はどっちかっていうとオープンな方が好きで、オープンテラスとか屋台でマンウォッチングしながらみたいな。それぞれの良さがあるのかも、隠微な感じがいいというのもあるでしょうし。そういうところではきっと「こういうところで本名言うもんじゃないですよ」って今でも諭されるかもしれません。
デリヘルくん
伏線回収(笑) 今は少しずつ変化がありますよね。
潟見陽
少しづつね。でももっとやってほしいですよね。ソウルだとゲイタウンに屋台がたくさん並んでいたり、台北は大きな広場がオープンエアーになっていてそこでみんなワーっと盛り上がってて。今はアプリでいくらでも出会える時代だけど、やっぱりマンウォッチングできるのが楽しいじゃないですか、それが街に出る魅力というか。
デリヘルくん
(笑)
潟見陽
街をときめかせてほしいですよ!なんか喋りすぎましたね。
デリヘルくん
いやいや、いいと思いますよ(笑) 利用する人の声や意見って大事だと思います。
潟見陽
昔の2丁目祭りって覚えてます?
デリヘルくん
仲通りが全部人で埋まっちゃうくらいの人で賑わっていましたね。
潟見陽
歩けないくらい人で埋まって。あれ!あの感じ。普段もお店の軒先に小さな椅子とテーブルを出して、夜風を感じながら〜
デリヘルくん
(笑) 夏は。冬寒いかも。
潟見陽
冬はストーブ出して。
デリヘルくん
いやいや(笑)
Q.最後に一言、宣伝や告知があれば。
潟見陽
色々ありますけどね。Tac’s Knotかな。来年で40周年ですし。Tac’s Knotでも本屋の本を時々置いてます。いつもちょろっと持って行ってるんですけど、もっと沢山並べて、本屋Tac’s Knotみたいなのを月1くらいで今やってるので、直近だと8月9日(月祝)のオリンピックの閉会式の日に、ブックフェア@Tac’s Knotをやるので。ぜひ来て下さい。本屋とTac’s Knotを知ってもらえたら嬉しいです。ちなみに本屋の名前はloneliness books(ロンリネスブックス)って言います。あ、NOT ALONE CAFEの宣伝もしていいですか?
デリヘルくん
NOT ALONE CAFEはどんなカフェなんですか?
潟見陽
NOT ALONE CAFEはぷれいす東京の生島さんと何人かで、特にコロナ前はアジアから来る人が増えていたので、日本に来たてで日本語でコミュニケーションが難しかったり、孤立しがちな外国籍の人たちが孤立しないように、コミュニティや情報に繋がるような場所を作りたいってはじめたプログラムです。
デリヘルくん
潟見さんが主に担っている役割とかはあるんですか?
潟見陽
主にビジュアルを作ってます。今はコロナで配信がメインですが、毎月第一日曜日の午後に開催をしています。
デリヘルくん
読者に対して一言お願いします。
潟見陽
今日のテーマとしてウチに籠るんじゃなくて、外の世界に向けてオープンになってほしいと願います。コロナ禍でもあるし、それぞれのやり方もあると思うんですけど。街に出るのもいいし、YouTubeやポッドキャストで発信するのもいいですよね。言葉ができなくてもインスタグラムで海外の人と繋がることもできるし、自動翻訳も進化していますしね。誰でも、ちょっとずつでも、世界と繋がっていける、面白い時代ですよ。
デリヘルくん
ありがとうございました。